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加古川の根本治療専門院
鍼灸治療院きさらぎ 院長の独り言
はっきりしてて気持ちが良い
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    古い患者さんの紹介で、最近来院された患者さんのお話し。

     

    主訴は4・5年前、左足首骨折で半年以上固定され、

    その頃からある左股関節の違和感、時にある夜間の疼痛。

    骨折が治ってからも左足首の捻挫を繰り返している。

     

    さらに10年ほど前から膝にヒアルロン注射を

    月1のペースで打ち続けているらしい。

    また以前躁鬱と診断され、現在も安定剤を服用中である。

     

    そんな状態だが、山登りが好きでしょっちゅう登っていると言う。

     

     

    診察してみると骨盤や股関節のアライメント(構造的整合性)は

    当然狂っているし、完全骨折はもちろん治っているとはいえ、

    微小骨折が多数あり、特に左下肢は十数か所確認できた。

     

    脆くなっている骨を守るために、筋肉が硬くなり、

    左股関節や左足首の可動性を制限している。

    左右の関節の可動域が著しく違うので、

    その歪は全身に及んでいる。

     

    そんな状態でありながら、登山という、

    より関節に負荷のかかる運動をし続けているのであるから、

    身体が悲鳴をあげるのは当然のことだ。

    症状とは警報であり、症状自体はやはりいつだって正常なのだ。

     

    鍼を打って、関節可動域の改善、弱化した筋力の向上などを確認し、

    治療を終える。

     

     

    3回目の治療。

    前回整えた部分の戻りが予想外に大きい。

    本人に質してみると「山へ登ってきた」と言う。

     

    どうしても今日、明日試合に出場しなくてはならない

    スポーツ選手ではないのだ。

    治癒を早めるために、治療中は治癒を妨げるようなことはやめる、

    身体を労わる、ということを本人が積極的に取り組まなくては

    治るものも治らない。

     

    そう伝えたら

    「私は止めるつもりはない。

     止めないで治してもらおう思ってここに来ました」と言う。

     

    「それは無理ですよ。本人に治す気がないなら治りません。

     たとえば西にある目的地に辿りつきたいのに

     東向きの道を行くのを止めなかったら

     目的地には着けないないでしょ?

     それと同じですよ。」

     

    「あはは、そりゃそうですよね。逆方向ですもんね。

     良くなる筈ないですよね(笑)」

     

    「身体がある程度回復するまで、

     少し登山は休んで、普段の歩き方を整えることから

     始めてみませんか?」

     

    「あはは、先生、わたし無理です。

     わたし養生できません。

     山登るの止められません。

     こりゃ治療の無駄ですね(笑)」

     

    「そうなってしまいますね」

     

    「じゃあ、もう良いです(笑)」

     

     

    身体を治すことより、登山の楽しみの方がこの方には大切だったのだ。

    身体をきちんと治せば、もっと登山が楽しくなるだろうにと思うのだが、

    本人がそれで良いなら良いのだ。

     

    自分の行動や習慣の結果を潔く受け止める覚悟があるなら、

    その上でどんな道を選ぼうと、どんな決断をしようと

    本人の自由なのだから。

     

     

    それにしても決断が早かったなぁ。

    「じゃあ、もう良いです(笑)」

     

     

    はっきりしてて、気持ちがいい。

     

     

     

     

    加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ 
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    | 病と心とそれから・・・ | 02:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
    オリンピック観戦記3 銀メダル!
    0

      やりました!やってくれました!!

      男子400mリレー決勝、日本銀メダル!!!

       

      トラック競技の、しかも短距離種目で日本が銀?

      えらい事です。

      ひと昔前には考えられんことです。

       

      バトン渡しの高い技術と

      日本陸上史上最強とも評価されているという4人の走力が相俟っての結果。

      後半の走りはもう少し伸びそうで伸びなかったけれど

      ハーフのケンブリッジさんの走りは他の日本選手の走りとは

      やはりちょっと異質な強さや伸びがありますな。

       

      他の元々強い国がアンダーパスを習得してきたらやっかいだけど、

      4人はまだ若いし、2020年の東京オリンピックも楽しみですな。

       

      まったくもってお見事、天晴でした。

      おめでとうございます!!!

       

       

       

      | 雑記 | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
      オリンピック観戦記2 逆転日本!
      0

        今大会の日本選手。どないしたん?

        活躍してますなぁ〜!!

         

        先日の卓球女子団体、

        一昨日の女子レスリングの3選手の

        逆転に次ぐ逆転劇。

         

        伊調馨選手は前人未到のオリンピック4連覇。

        吉田選手と同じ3連覇して

        なぜ彼女は国民栄誉賞の候補にならなかったのか不思議でしたが

        これで候補になってもおかしくないでしょう。

        要らん、言いそうやけど。

        とにかくお見事。おめでとうございます。

         

        そして昨日のバドミントン女子ダブルス、

        高橋・松友ペアの崖っぷち、ギリギリからの大逆転優勝。

        まっこと素晴らしい!!

        本当は戦って手に入れたかったでしょうが

        銅メダルの奥原選手も良い試合を見せてくれました。

         

        吉田沙織選手は残念でしたが仕方ありません。

        それでも世界2位なんやから凄いことです。

        負けた後、頻りに申し訳ない申し訳ないと謝っていたけれど

        謝る必要なんてどこにもない。

        柔道にも言えるけど、銀メダルや銅メダルを取った選手に

        謝らなくてはならないような心境にさせる環境は問題ですな。

         

        それから負けたこと自体よりも、その後の方が私には残念でしたな。

         

         

        私はかつて剣道をやっていました。

        現代剣道は動き自体はスポーツ化しているけれど

        武士道精神が大切にされています。

        ガッツポーズなんて恥ずかしいみっともない態度を取ったら

        「見苦しい引き上げ」として一本取り下げになります。

        勝って驕らず、負けて乱れず、

        最後まで戦った相手を敬い、侮辱せず、思いやる精神が尊ばれます。

         

        「遊び」が原点のスポーツと違って

        本来勝負がついたら敗者は傷つき或いは死んでいる武術において

        敗者の前ではしゃぎ、勝ちを誇ったり、

        負けたからといって感情のまま乱れるのは

        武人として恥ずかしいことなのです。

         

        日本の選手とはいえレスリングは西洋のものだし、

        勝っても負けても感情を爆発させるのは是とされているのでしょうが

        百歩譲って試合直後の涙は仕方ないにせよ、

        せめて表彰式では堂々と、毅然としていて欲しかったなぁ。

         

         

        さて、競歩で銅メダル!棒高跳び入賞!

        女子5000メートルで決勝進出!

        予選でアジア記録を出して決勝進出の男子リレーと

        陸上競技の選手の活躍もすばらしい!

        (陸上のLIVE中継少ないぞ〜)

         

        そして世界新記録には届かなったけれど、100mについで

        圧倒的な強さで200m優勝のボルト選手。

        100・200三連覇て。

        柔道やレスリングのような技術系の競技ならまだしも、

        純粋に速さを競う競技で12年間世界のトップでいるなんて

        バケモノですな。今大会で終わりとのことやけど

        出来ればもう少し見ていたい。

         

        そのボルト選手率いるジャマイカチームとの400mリレー決勝。

        楽しみやわ〜ン。

         

         

         

        | 雑記 | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
        SMAP解散
        0

          SMAPが解散するという。

          テレビでも新聞でも大騒ぎしている。

           

          ど〜〜〜〜〜〜でもええわ!!!

           

          NHKがわざわざニュースで取り上げることか。

           

           

          ところでSMAPと言えば嫌いな歌がありました。

          その名は「らいおんハート」(2000年発表)

          歌詞がどうにも気持ち悪い。

           

          『君はいつも僕の薬箱さ

           どんな風にぼくを癒してくれる』

           

          「どんな風に僕を癒してくれる」ってどういう意味やねん。

          薬箱さと言い切っているなら、これこれこんな風に癒してくれるからとか

          理由を言うなら分かるけどそうでもない。

           

          「君は僕の薬箱。さぁ、どんな風に僕を癒してくれる?」という要求なら

          「いつも」はおかしいし、そもそも「?」もついてないから、

          要求ではないんやろ。

          ほな、「どんな」で始まって「癒してくれる」という断定文は

          どない理解したらええのや。まったく持って気持ち悪い歌詞や〜。

           

          続いて『笑うそばから ほら その笑顔』

           

          ふつう「そばから」を使うなら

          「泣いたそばから もう笑顔」「笑ったそばから もう涙」とか

          逆の意味の言葉が前後に来るもの。

          「笑うそばから ほら その笑顔」て、笑いっぱなしやないか!

           

          『泣いたら やっぱりね 涙するんだね』

          当たり前や!それが泣く〜言うこっちゃ!

           

          脚本家の作詞らしいけど日本語滅茶苦茶でっせ、ほんま。

           

           

          それから嫌いということでもないけど

          持てはやされるほど良い曲とは思えないのが

          「世界で一つだけの花」

           

          あの歌が1番2番かけて、だらだらだらだら言わんとしていること、

          かの童謡やったら、たった41文字、

          或いは最後の一行、わずか11文字で言い切っていて、

          他に余計なものは何もない。

           

          まさに寸鉄人を刺す。

          世界一短い詩、俳句を生み出した国の童謡ではないか。

          可愛らしいこの歌の方がずっとずっと深く身に染みる。

          勿論、それを自分の弱さ・醜さ・未熟さ・至らなさを正当化する

          陳腐な慰めの言葉にしてはいけないけれど。

           

           

          『さいた さいた
           チューリップの花が
           ならんだ ならんだ
           あか しろ きいろ
           どの花見ても きれいだな』

              作詞 近藤宮子

           

           

           

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          | 雑記 | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
          オリンピック観戦記
          0

            いやぁ、オリンピック、やっぱり面白おすなぁ。

            連日堪能しております。

            (柔道選手のマナー、態度の悪さはまことに見苦しく辟易しましたが)

             

            水泳・カヌーの活躍も素晴らしいし、

            7人制ラグビーの鬼ごっこのような面白さも知ることができました。

            バドミントンも個人・ダブルスともに検討していて期待しております。

             

            しかし、なんといっても体操団体の優勝、

            さらには内村選手の個人総合の優勝には痺れましたなぁ。

            あの追い詰められた展開の中での完璧な試技での大逆転。

            出来るものではありまへん。

             

            「練習では失敗しないので」

            そう彼は言っておりましたが、んなこと他の誰が言えましょう。

            皆、失敗しないように練習にするわけやけど、

            練習では失敗しないので、やなんて。

            そしてそれを難しい状況で完璧にやってのける精神力。

            見事としか言えません。

            本当におめでとうございます。

             

            精神力といえば、テニスの錦織圭選手。

            準々決勝や今朝の3位決定戦での元世界1位ナダル選手との

            ギリギリの攻防の中でのあの粘り強さ。

            そして同じく今朝の卓球女子団体。

            石川佳純選手。2セット連取されてからの大逆転。

            追い詰められても揺るがぬ強気の姿勢。

            これまたお見事!

            福原愛選手も惜しかったですね〜。

            攻めて攻めての姿勢で勝負に勝っていながら

            試合に負けた感のあるまさに惜敗でした。

            3位決定戦を楽しみに致しましょう。

             

            そしてウサイン・ボルト選手の100M3連覇。

            側弯症を抱えながらその力を12年も保っていられるなんて

            才能もさることながら努力の賜物でしょう。

            誠に天晴至極!

             

            オリンピックも早や折り返しですが

            陸上を中心に(ロシアの不参加は物足りないが)

            まだまだ楽しみな競技が目白押し。

            眠れない楽しい日々が続きそう。

            困ったもんだ。

             

             

             

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            | 雑記 | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
            治りたくない患者
            0

              「薬を断てない患者」という以前の記事内で

              「治りたくない患者」についてチラと触れたところ、

              もっと詳しく知りたい、との声があったので少し詳しく書いてみたい。

               

              『問わず語りとちゃうやんけ!』というツッコミは

              この際放っといて。

               

               

              「治りたくない患者」

              これはこのブログでも度々登場する「治す気のない患者」とは違う。

              後者は他人に治して貰いたい気持ちは満々だが、

              自ら積極的に養生に励んだり、医療指導を守り、

              セルフケアに取り組むのは嫌な患者のことだ。

              嫌な理由は至極簡単、

              「面倒なことやしんどいことは嫌」なだけのことである。

              要は楽して元気になりたいということだ。

               

               

              「治りたくない患者」は違う。

              彼ら彼女ら(以後彼ら)の中にも「治す気のない」要素はあるが、

              彼らは本質的に治りたくないのだ。

               

              そんな馬鹿なことがあるか、と思うかも知れない。

               

              もちろん、当人は本気で治りたいと思っている。

              元気になりたいと願っている。

              でなければ、治療を受けようとは思わないだろう。

              しかし、その心の一方では治りたくないのである。

               

              つまり顕在意識では症状が辛いからそこから逃れたい、

              解放されたいと思っているが、

              潜在意識下では、深層心理としては治りたくない、ということだ。

               

              出来うることなら目を逸らしておきたい何かしらの問題に

              元気になってしまったら、向き合わなくてはならない。

              病で居られたら、それに直面しなくても済む、避けていられるのだ。

               

              人間関係の問題、アイデンティティの問題、過去のトラウマ、

              他人に見せている虚勢や演技上の虚偽の自分に嫌気がさしているのに

              本来の自分を曝け出すのは恐い、などの自己不信・・・・。

              問題は様々だろう。

              いづれにせよ、きちんと向き合うのは

              恐い・辛い・しんどいことは分かっている。

              病の身で居られるなら、ずっとそこから逃げ続けていられる。

               

              顕在意識では病身で人に助けられることや

              人に迷惑をかけるのは嫌だとストレスを感じていても、

              無意識下では向き合うべき現実から逃げていられる、

              許してもらえる、優しくしてもらえるその環境を失いたくないのだ。

              失うことが恐いのである。

              或いはただただ愛情に飢えている、

              他者の愛情を試している、ということもあるかもしれない。

              治りたい表の心とは裏腹に治りたくないもう一人の私がいるのである。

               

              情緒的に不安定になる方も少なくなく、

              時には職場や家庭等で、

              「誰々から意地悪されている」

              「陰口を言われている」

              など幻聴に近い思い込みを持ったり、

              被害者意識が強くなっていく場合もある。

              病だけが唯一の逃げ場所なのだ。

               

               

               

              治療に対する身体の反応や養生への取り組み方にも

              いくつかの特徴がある。

               

              治療院に来る方の殆どは、交感神経優位の緊張状態にあり、

              眉間のしわ寄せ(力み)や歯の噛みしめ、手指の強張りなど

              不必要な力みを程度の差こそあれ、癖として持っている場合が多い。

               

              眉間に皺を寄せるように力を入れてみよう。

              丁度、孫悟空の頭に嵌められた緊箍児(きんこじ)のように

              頭が締まって硬くなるのが分かるだろう。

              軽く口を開けた状態からぐっと歯を噛みしめてみよう。

              今度は首と後頭部の境ぐらいから顎の下を巡る、

              頭の下半分が緊張し、喉が締まってくるのが分かるだろう。

               

              眉間の力み、歯の力みは頭部全体を緊張させ、

              脳の健全な血行を阻害し、呼吸を浅くさせてしまう。

               

              また人間は手を器用に使うようになって脳が発達したと

              言われるように手と脳の関係は深い。

              手指の強張りも脳の血行不良、硬膜の緊張と深く関わっている。

               

              逆に言えば、眉間の力を抜き、歯の噛みしめを緩め、

              手を優しく柔らかく丁寧に使うことを心がけるだけでも

              脳の血行不良や硬膜の緊張の改善にはたらき、

              すばらしい自己治療にすることもできるということだ。

               

               

               

              当院の鍼灸治療の目的は、骨格系の歪みを整え、

              内臓の機能的均衡を整え、脳脊髄液循環、脳の血行不良を改善して、

              その人本来の治癒力を、その時点時点で最善の状態まで導くことにある。

              治療を受け入れる準備、身体の変化を受け入れる準備が出来ている人は、

              上記のような症状も治療を重ねることでもちろん自然に改善してゆく。

               

              特に頭蓋骨と仙骨の歪みの調整時には、

              深い部分の緊張が解け、弛緩していた部分は締まって、

              身体が深い呼吸、深いリラックス状態に入っていくので

              多くの方はその心地良さにウトウトとし、眠ってしまう方も少なくない。

              中には涎を垂らしてしまう方もいる。

              ※(治療後はスッキリと目が開き、頭が冴え軽くなります。)

               

              けれど「治りたくない患者」は、

              頭蓋骨から離れた、手足などにアプローチする遠隔的な治療や

              補助的な治療の際にはリラックスしていても、

              いざ上記のような中枢の治療に入ると

              通常の患者とは明らかに違った反応をする。

               

              もちろん、身体自体は鍼という静かな働きかけを受け入れて、

              それをきっかけに無駄な緊張を解いて、

              自ら整えよう、回復しようとする反応を見せる。

              だが、彼らは知らず知らずの内にそれに抗う方向にも力を発してくる。

               

              それは硬結や単なる力み癖による筋肉の硬さとは

              明らかに質の異なる硬さとして術者の手に、身体に伝わってくる。

              緩んでゆく力とは逆方向に、眉間の力み、歯の力み、

              首の力みなどを維持しようという緊張が同時に感じられるのだ。

              まるで心身が根っこから整うことを拒むかのように。

               

              だから彼らは、たとえ治療の前日に仕事などのストレスで

              よく眠れなかったとしても、治療中先ず眠ることはない。

               

               

              養生の取り組み方においても「治す気のない患者」の場合は、

              どんな養生法であろうと取り組もうとはしないが、

              「治りたくない患者」の場合は、顕在意識では「治りたい」ので

              各種エクササイズや自宅施灸など

              行うのに時間や場所が必要な、かつセルフケアとしては

              補助的なものには割合積極的に取り組む。

               

              しかし、先ほど紹介したような

              • 眉間の力を抜く
              • 歯の噛みしめを止める
              • 手指の力を抜く、柔らかくやさしく使う

               

              或いは呼吸の練習など、

              時間も場所も限定されず、いつでもどこでもできる、

              且つ脳の緊張や血流の改善にダイレクトに関わることには

              積極的には取り組まない。

              身体を治してしまうかもしれない取り組みを

              無意識の内に避けてしまうのかも知れない。

               

               

              そのような状態でも治療を重ねてゆけば、

              内臓機能が整い、骨格が整ってゆくことで、

              次第に低下していた体力は高まり、疲れにくくなったり、

              ぐっすり眠れるようになったり、

              話す気力もなかった人がよく喋るようになったり、

              伏し目がちだった人が他人の目を見られるようになったり、

              頭蓋骨の歪みが取れて小顔(正常化)になったり、

              肌艶が明るく美しくなったり、笑顔が増えたりなど

              心身の状態は必ず改善してゆく。

               

               

              しかし、例えばうつ病は自殺等のリスクがあるため、

              治りかけが最も精神的に危うく恐いと言われているように、

              そこまででないにしても、「治りたくない患者」も

              そのように体調が良くなってくる時期にはある種の危うさがあり、

              皆同様の反応をすることが少なくない。

              突然、治療を途中で止めるのである。

               

               

              いきなりフイと連絡なく止める人もいるし、

              仕事や金銭面などの理由を挙げて止める人もいるが、

              中には治療の自分にとって良くない部分、

              例えば、

              「打って欲しいところに鍼を打ってくれない」

              「他の鍼灸院のような響かせる鍼を打ってくれない」

              「電気鍼をしてくれない」

              「長時間の治療をしてくれない」など、

              つまり治療を止めるのに都合の良い理由を

              今まで喜んで受けていた治療の中に探すようになったりもする。

               

              時には「止めるに足る理由」を頭の中で作り上げ、

              現実の記憶として認識し、信じてしまう人もいる。

              院としては不本意だが、本人に悪気はないし、

              どうすることもできない。

               

              ここまでくるとスピリチュアルな問題で

              もはや医療の範疇ではないのかも知れないが

              悔しくも力不足を痛感せざるを得ない。

               

               

              「治りたくない患者」

              彼らはきっと、自分の心の奥底に閉じ込めたその何かと

              しっかり向き合わない限り、これからもいろんな治療を受けては、

              体調が良くなってきたらまた治療を止める、

              という堂々巡りを続けるのだろう。

               

              引きこもりの期間が長いほど社会復帰が難しくなるように

              病の内側に逃げ込んでいる期間が長いほど、

              その堂々巡りから抜け出すことは難しくなる。

               

              内側から鍵をかけているのは自分なのだと

              気づかれる日が早く訪れるよう

              祈るばかりだ。

               

               

              『三五

              こころは保ちがたく かるくたちさわぎ
              意(おもい)のままに従いゆくなり
              このこころをととのうるは善し
              かくととのえられし心は たのしみをぞもたらす

               

              三六

              こころはまこと見がたく まこと細微(こまやか)にして
              思いのままにおもむくなり
              心あるひとはこのこころを護るべし
              よくまもられしこころは たのしみをぞもたらす

               

              三七

              こころは遠く去りゆき またひとりうごく
              密室(むね)にかくれて 形(すがた)なし
              かかる心を制(ととの)うる人々は
              誘惑者(まよわし)の縛(きずな)を逃れん』

                       発句経(友松圓諦訳)

               

               

               

               

              加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ 
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              | 病と心とそれから・・・ | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
              ヒーロー
              0

                九重親方が亡くなった。

                千代の富士が逝ってしまった。

                 

                去年還暦の土俵入りのニュース映像を見て

                「なんだか一気に老けたな、顔色や肌の色が悪いな・・・」と

                感じてはいたけれど。

                早すぎる。あまりにも早すぎる。

                 

                私が相撲好きになったのはまさしく彼の存在だった。

                小学時代から中学、高校とまぎれもなく私のヒーローだった。

                なんだかポッカリと大きな穴が空いてしまったようで

                言葉にならない。

                 

                 

                小柄ながらも筋肉隆々の逞しい身体に精悍な顔つき、

                炯々とした鋭い眼光。覇気・闘志あふれる取り口。

                抜群の速さの立ち合いからの一気の寄り。

                随所に見せる相撲の上手さと天性の対応力。

                倍ほどの大きさの力士を豪快に釣り上げ、投げつける激しさ。

                驚異の粘り腰から成熟期には盤石の足腰に変わり、

                巨漢小錦の突き押しにもびくともしなかった。

                 

                土俵の外では歯に衣着せぬもの言いながらユーモアを忘れず、

                人懐っこい笑顔も魅力だった。

                 

                悲しい出来事にも度重なる大きな怪我にも

                見事に立ち向かい立ち上がる姿に

                幾度勇気を引き出してもらったか知れない。

                 

                 

                一人横綱の時期もあったけれど、

                一癖も二癖もある力のある力士が多かった時代だ。

                優勝経験のない廃業になった横綱を除いては、現在の角界のように

                「大関に見えない大関」「横綱に見えない横綱」などいなかった。

                それぞれに「こうなったら盤石」といえる型を持っていた。

                そんな時代にあって圧倒的な強さと

                人をひきつける魅力を併せ持つ千代の富士は

                横綱の中の横綱だった。

                 

                名勝負は枚挙に暇なく、挙げたら切りがないが、

                1000勝を決めた花の国戦での、まるで呼び戻しのような

                ふわりと軽く美しいすくい投げが忘れられない。

                 

                 

                これから先も、もっともっと強い弟子を育てて、

                いつまでも凛々しい姿を見せてくれると思っていたのに。

                残念でならない。

                 

                謹んで哀悼の意を表します。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                | 想い | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
                嘆息
                0

                  海外のテロ、日本の猟奇的な事件・・・。

                  どうしてこんなに陰惨な出来事ばかり起こるのだろう。

                  残酷なニュースさえ、日常茶飯事になってしまった。

                   

                  興味本位で、些細なことで逆上して・・・・。

                  そして信仰。

                   

                  既存の宗派宗教への信仰も、

                  正義という名の信仰も、

                  理想という名の信仰も、

                  信念という名の信仰も、

                  思い込みに過ぎた排他的な信仰は、

                  いともたやすく狂気に切り替わる。

                   

                   

                  そして狂気は恨みを産み、

                  恨みから生まれた怒りや悲しみは

                  新たな狂気を産みかねない。

                   

                   

                  こんな時代だ。

                  狂気に対する備えは必要だ。

                  狂気を許さぬ構えも必要だ。

                  その一方でこんな時代だからこそ、

                  自他の怒りや恨みの感情に負けない

                  深く強い赦しの心も持っていたい。

                   

                  その怒りや悲しみが決して癒えないとしても。

                   

                   

                   

                  『彼、われをののしり 彼、われをうちたり

                   彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり

                   かくのごとく こころ 執する人々に

                   うらみはついに 熄 ( ) むことなし

                   

                   彼、われをののしり 彼、われをうちたり

                   彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり

                   かくのごとく こころ 執せざる人々にこそ

                   ついにうらみの止息(やすらい)を見ん

                   

                   まこと、怨みごころは いかなるすべをもつとも

                   怨みを(いだ)くその日まで ひとの世にはやみがたし

                   うらみなさによりてのみ うらみはついに消ゆるべし

                   こは(かわ)らざる真理(まこと)なり 』

                              発句経(友松圓諦訳)

                   

                   

                   

                  | 想い | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  薬を断てない患者
                  0

                    『薬剤師は薬を飲まない』など、

                    薬の危険性を訴える書籍や雑誌記事が増えている。

                     

                    実際、薬の多くは根本的な治癒には結びつかず、

                    特に西洋薬の大半は症状を抑え込むことを目的とする

                    対症療法的効果を狙ったものである。

                     

                    中には症状を抑えるには効果的な薬もあるだろうし、

                    今の病態に合う薬もあるだろうが、

                    どんな薬も長く使うほどに内臓に負担をかけ、

                    自己治癒力を低下させてゆくのだから

                    ずっと服用しつづけて良い筈がない。

                     

                    長期の薬の服用は肝臓はじめ臓器への負担となり、

                    また脳への負担ともなる。

                     

                    ことに鎮痛剤や睡眠薬、向精神薬、安定剤の類は

                    精神的にも肉体的にも薬への依存性を高めてしまう。

                     

                     

                    『薬をやめるのが恐いんです』

                    『やめた時の副作用が恐いんです』

                    当院でもそんな患者は少なくない。

                     

                     

                    厳密には断薬後に現れる様々な症状は、

                    副作用というよりは、禁断症状だと言えよう。

                    本来現出するはずだった症状が一気に出てくるのだから、

                    その薬はただ症状を抑え込んでいただけで、何も治していなかった

                    ということの証明でもある。

                     

                     

                    早く止めればもっと早く身体は治癒されていくのにと

                    使っている薬を持ってきていただいて、

                    脳の拒否反応を表す筋肉反射テストなどをして、

                    その薬が身体に合っていないかどうかを確認し、

                    本人にも感じて貰い、止めた方が回復力が高まることを伝えるが

                    医師ではないので法的立場上やめなさいとも言えず、

                    忸怩たる思いになることも少なくない。

                    合わない、害しかないと知った上で、その後どうするかは本人次第だ。

                     

                     

                    もちろん薬によっては急にやめるのは危険な薬もあり、

                    (それ自体がその薬がいかに危険かを物語っているではないか)、

                    慎重に減らしていかなくてはならない場合もある。

                    脳が気づかない程度のペースで減らしてゆくというやり方で

                    断薬に取り組んでゆくわけだが、

                    逆に脳のその薬への飢餓感を煽り、依存性が抜けにくい場合もある。

                    まるで麻薬の一種ではないかとも思えてしまう。

                     

                     

                    そして肉体的依存性もさることながら、

                    より危険なことは薬への精神的依存性だ。

                     

                     

                    『この精神安定剤があると安心なんです。』

                    その薬をやめない限り、その不安定な歪な安心感、

                    言い換えれば薬によって生まれ、あるいは強化された不安感から

                    解放されることはないだろう。

                     

                     

                    たとえば、ブロック注射で鈍らされていた神経が回復していく時には

                    注射を打つ前より、痛みが強くなることはよく知られている。

                    たとえば、長時間の下手な正座で足が痺れた後、

                    血流が回復し、鈍麻していた感覚が戻るにつれ、

                    痛みとも痒みともつかない感覚が訪れる様に、

                    身体が回復してゆく時には、痛みそのほか様々な不快感に

                    襲われることも珍しくないし、本来あるべき様々な症状が

                    顕著に表れることもある。

                     

                    それは肉体としては正常な反応であって、

                    その正常な反応を恐れ憎んでいては薬を断つのは難しい。

                     

                    たとえそれが不快な症状であれ、

                    症状を受け入れ、症状に任せる。

                    すなわち、自己治癒力を信頼する、ということが

                    大変重要だ。

                     

                    薬に依存的になるということは、

                    自己治癒力を信頼しないということであり、

                    本人に信頼されていない身体が根本的に改善する筈もない。

                     

                     

                    また、症状への不安から薬を断てない、

                    薬自体の影響から薬への依存性が抜けない、

                    というのが大半であるが、中には薬を飲み続けることが、

                    周囲への「病人としての自分」の存在証明になってしまっている、

                    病を何かからの逃げ場所にしてしまっている『治りたくない患者』もいる。

                     

                    これはこれで別の問題としてやっかいだ。

                     

                    いづれにせよ、不必要な薬、効いていない薬、

                    無駄な薬を断てないのは何故なのか。

                    今一度自分に問うてみることも必要なのではないだろうか。

                     

                    どんな変化も受け入れる静かな覚悟が生まれ育てば、

                    きっと本質的な何かが変わり始めるだろう。

                     

                     

                    『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。

                     死ぬ時節には死ぬがよく候。

                     これはこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ』

                                     良寛

                     

                     

                    加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ  http://sinq-kisaragi.net/


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                    | 病と心とそれから・・・ | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    衝撃
                    0

                      鍼灸治療の内、複合的な内臓の機能失調や
                      脳脊髄液循環の停滞の調整を主に、
                      心身全体の治癒力・回復力の向上を目的に行う治療を本治法という。
                      喩えて言えば、川の浄化作用そのものを高めるような治療法である。

                      また当院では伝統的な東洋医学では軽視されている
                      骨格上、構造上の歪みも重要視している。
                      様々な内科的な問題は、すなわちソフトの問題は
                      必ずハードである骨格、構造の影響を受けるからである。
                      よって当院では、伝統的な東洋医学の枠を超えて、
                      厳密な骨格診断の上で治療に当たっている。
                      例えば氾濫や停滞などを生む川の流れの問題点を修正する
                      いわば護岸工事のようなものである。


                      さて、東洋医学には瘀血(おけつ)という考え方がある。
                      狭義には抹消静脈の鬱血、すなわち血の停滞、
                      或いは停滞した血そのものの事を指し、
                      広義には瘀血が発生し、滞留するような病態を
                      血瘀、瘀血証、或いは肝実と呼んでいる。

                      停滞した血は新鮮さを失い、老廃物が増え、
                      各組織を充分に栄養できなくなるため、
                      様々な疾病の原因となり、治癒を遅らせる要因となるものである。


                      この瘀血の解消に適した治療法として、「刺絡」という鍼治療がある。
                      専用の特殊な鍼を使って瘀血所見を現わしている皮膚の1点を切開し、
                      吸角(吸い玉)と呼ばれる減圧して真空を作りだす器具を使って、
                      或いは吸角が使えない部位では手絞りで瘀血の排泄を促し、
                      もって新たな血を呼び込み早期回復を期待するものである。

                      川で言えば、川底に溜まった汚泥、瓦礫、ヘドロなどを掻きだす、
                      言わば川浚いのようなものだ。
                      効果的な治療法ではあるが汚泥を浚うよりも
                      汚泥の溜まりにくい流れをつくる、
                      浄化作用を高める本治法の方が大切であり、
                      あくまで刺絡は本治法の補助的な治療であると言える。

                      当院では打撲・捻挫、むち打ちなどの外傷や
                      瘀血所見が顕著で病態の固定化が進んでいるような場合などの
                      治療開始初期に1回から数回行うことがあるが、
                      必要ないと判断したら、本人が望んでもすることはない。


                      さて、最近ある患者さんから衝撃的な告白を受けた。
                      アトピー様の皮膚症状に悩まれ、特に顔面の瘀血所見が顕著で
                      女性であることから、治療当初に数回顔面への刺絡を行い、
                      以後は本治法のみを行っている。

                      全体として肌艶が良く明るく柔らかになり、
                      背中の湿疹も腹部の緊張も取れ、むくみもなくなり、
                      少ししか開かなかった口が開くようになり、
                      顎のラインがスッキリとして小顔になり、
                      夜もグッスリ眠れるようになったという。
                      なのに彼女はほぼ毎回のように
                      「血が出る血が出るタラタラ血が出る」とのたまうのだ。

                      こんなに肌の肌理(キメ)が整ってきているのに
                      血が出るなんておかしいなと思っていたが、
                      よく聴いてみると
                      「痒い部分をを自分で引っ掻いたり
                      カサブタを剥がして血を出している」と言う。
                      「血を出したらスッキリするから」と。

                      んなアホな・・・・・。
                      そんなことする人がいるなんて!!!。

                      血が出てたんじゃなく、自分で傷つけて血を出していただけ。
                      怪我したら血は出るでしょそりゃ・・・。


                      そもそも瘀血は正常の血より粘着度が高いので
                      刺絡してもジワ、ドロっと滲みだすように溢れてきて、
                      必要量排出されればじきに止まってしまう。
                      タラタラとは流れません。

                      ハァ〜、溜息が出ます・・・。
                      色んな人がいるもんですね。
                      勉強になりました。


                      けれど今回のことは、
                      治療に依存的になって養生に励まない方が多い中、
                      自分で出来ることは何でもしようと
                      主体的に治療に取り組んだ彼女の姿勢を現わしており、
                      それ自体は素晴らしいことです。

                      ただやり方が間違っていただけで。
                      想像だにできない突拍子もない間違い方で。


                      しかし、間違いを間違いと気づけたなら改めれば良いだけ。
                      今日改めることが出来たなら明日はきっと変わるし、
                      そうすれば間違いも無駄にはならない。

                      間違いを間違いと知って改めない、
                      或いは間違いを間違いと認めない。
                      そんな精神性が治癒への最も深く大きな障害となる。



                      さて、良かれと思ってやっているあなたのそのやり方、
                      間違っていませんか?


                       

                      『精要(まこと)なきものに精要(まこと)ありと思い
                      精要(まこと)あるものを仮(あだ)と見る人は
                      いつわりの思いにさまよい 
                      ついに真実(まこと)に達(いた)りがたし 

                       精要(まこと)あるものを精要(まこと)ありと知り
                      精要(まこと)なきものを仮(あだ)と見る人は
                      正真(すぐ)なる思いにたどりすすみ
                      ついに真実(まこと)に達(いた)るべし 』
                                                   法句経(友松圓諦訳)


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                      | 病と心とそれから・・・ | 00:08 | comments(5) | trackbacks(0) |