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加古川市の根本治療専門院
鍼灸治療院きさらぎ 院長の独り言

ホームページでは伝えきれない役立つ情報、大切なメッセージ、
臨床雑話
開院10周年!加古川 鍼灸治療院きさらぎ
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    2017年10月7日。

    お陰様で当院、鍼灸治療院きさらぎは開院10周年を迎えた。

     

    10年ひと昔と言うが、大きな希望と少々の不安を胸に

    開院したのがつい昨日のようだ。

     

     

    その間当院の治療方針はまるで変わっていない。

     

    症状別・病名別の対症療法はせず、

    その人本来の治癒力そのものを引き出す根本治療のみを行い、

    もって皆様にご自分と向き合う機会を提供し、

    皆さまが物事に主体的に臨むことによって生まれる自由に気づき、

    自己信頼感を高め、身も心も健やかになって、

    それぞれの日常を明るく楽しく豊かに輝かせてくださる、

    その一助となるべく、最善を尽くす。

     

     

    もちろん、それを開院当初から体現出来たわけではない。

    開院当初のご予約のまばらな頃などは

    経営上、継続して通院してもらいたいが為に、

    患者さんの意向に沿って症状を追い、

    対症療法を施してしまうこともあった。

     

    けれども、そんな時はいつも恥ずかしく、

    自己嫌悪に陥ったものだ。

     

    何故なら、対症療法を続ける限り、

    痛み消し、症状消しを目的としたごまかし治療を続ける限り、

    根本治癒は遠のいてしまうからだ。

     

    そして、何よりそれが罪深く問題なのは、

    患者さんの学びの機会、成長の機会を奪うことにつながるからだ。

     

     

     

    対症療法で症状消し、痛み消しをして

    その方を満足させさえすれば良いのであれば

    治療家は至極楽な話だ。

     

    しかし、ではその方はいつ学ぶのだろう。

    いつ気づくのだろう。

     

    自分を苦しめているのは、ほかでもない自分なのだということに。

     

     

     

    先天性・遺伝性の病や外傷、感染症など一部の例外を除き、

    多くの病や不調、痛みの原因はご本人の生活習慣の中にある。

     

    ご本人の精神習慣、姿勢・運動習慣、食習慣、

    すなわちご本人の在り方の中に、

    健康を損ない、且つ治癒を遅らせるいくつもの原因が潜んでいる。

     

     

    積み重ねた悪しき習慣、その負担によって心身に何らかの不調和、

    構造的、或いは内科的な機能失調が発生し、

    それがある水準を超えた時に、身体は危険信号を表す。

    それが症状だ。

     

    症状とは言わば警報器。

    警報を消しても火事は治まらない。

    治まっていないのにも関わらず、

    「警報を消してくれという要望に応えているのだから

     良いじゃないか」というのは治療家の傲慢ではないか。

     

     

     

    症状に感謝しましょう。

    症状に学びましょう。

    症状と言う身体からの訴えに耳を傾けましょう。

     

     

    当院が皆さまに伝え続けてきたことだ。

    けれど伝えきれず、伝わりきらず、

    自分と向き合うことの大事にも

    養生に励むことの大事にも

    気づいて頂けた方の数は私の理想からは程遠い。

     

    そんな拙い私の働きであるにも関わらず、

    当院を気に入り、当院を支持して下さった多くの方に支えられて

    何とか10年を過ごすことが出来た。

     

    これはまことに有り難く、有難く、

    嬉しいことであると同時に恥ずかしいことだ。

    なんとなれば、助けられていたのは私の方なのだから。

     

     

    今後五年十年、さらにその先も当院の理念は変わらない。

    より強く高くなることはあってもその逆はない。

     

    その間、これまでがそうであったように

    診断技術も治療技術もどんどん向上してゆく。

    対症療法や慰安的施術に執着する人たちの身には

    益々縁遠い院になっていくことだろう。

     

    対症療法やってりゃ楽だってのは分かってるけどね。

     

     

    けれどもこれは私の道行き。

    私の選んだ道行き。

    分かっちゃいるけどやめられない。

     

     

    『ねぇ、なんでキリンはあんなに首が長いの?』

    『仕方ないやろ。あんなに高いとこに頭があるんやから』

     

     

    本気で健康を取り戻したい、健康であり続けたい

    そして人生をより良く輝かせたい皆様に貢献できますよう

    ただただまっすぐに ひたむきに ひたすらに

    精進して参ります。

     

     

    10年間、誠に有難うございました!!

    そして今後の当院をご覧じろ!!

     

     

    鍼灸治療院きさらぎ 院長 吉良 淳

     

     

     

    TEL 079ー421ー9353

    加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-kisaragi.net/
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    | 想い | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
    ヒーロー
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      九重親方が亡くなった。

      千代の富士が逝ってしまった。

       

      去年還暦の土俵入りのニュース映像を見て

      「なんだか一気に老けたな、顔色や肌の色が悪いな・・・」と

      感じてはいたけれど。

      早すぎる。あまりにも早すぎる。

       

      私が相撲好きになったのはまさしく彼の存在だった。

      小学時代から中学、高校とまぎれもなく私のヒーローだった。

      なんだかポッカリと大きな穴が空いてしまったようで

      言葉にならない。

       

       

      小柄ながらも筋肉隆々の逞しい身体に精悍な顔つき、

      炯々とした鋭い眼光。覇気・闘志あふれる取り口。

      抜群の速さの立ち合いからの一気の寄り。

      随所に見せる相撲の上手さと天性の対応力。

      倍ほどの大きさの力士を豪快に釣り上げ、投げつける激しさ。

      驚異の粘り腰から成熟期には盤石の足腰に変わり、

      巨漢小錦の突き押しにもびくともしなかった。

       

      土俵の外では歯に衣着せぬもの言いながらユーモアを忘れず、

      人懐っこい笑顔も魅力だった。

       

      悲しい出来事にも度重なる大きな怪我にも

      見事に立ち向かい立ち上がる姿に

      幾度勇気を引き出してもらったか知れない。

       

       

      一人横綱の時期もあったけれど、

      一癖も二癖もある力のある力士が多かった時代だ。

      優勝経験のない廃業になった横綱を除いては、現在の角界のように

      「大関に見えない大関」「横綱に見えない横綱」などいなかった。

      それぞれに「こうなったら盤石」といえる型を持っていた。

      そんな時代にあって圧倒的な強さと

      人をひきつける魅力を併せ持つ千代の富士は

      横綱の中の横綱だった。

       

      名勝負は枚挙に暇なく、挙げたら切りがないが、

      1000勝を決めた花の国戦での、まるで呼び戻しのような

      ふわりと軽く美しいすくい投げが忘れられない。

       

       

      これから先も、もっともっと強い弟子を育てて、

      いつまでも凛々しい姿を見せてくれると思っていたのに。

      残念でならない。

       

      謹んで哀悼の意を表します。

       

       

       

       

       

       

      | 想い | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
      嘆息
      0

        海外のテロ、日本の猟奇的な事件・・・。

        どうしてこんなに陰惨な出来事ばかり起こるのだろう。

        残酷なニュースさえ、日常茶飯事になってしまった。

         

        興味本位で、些細なことで逆上して・・・・。

        そして信仰。

         

        既存の宗派宗教への信仰も、

        正義という名の信仰も、

        理想という名の信仰も、

        信念という名の信仰も、

        思い込みに過ぎた排他的な信仰は、

        いともたやすく狂気に切り替わる。

         

         

        そして狂気は恨みを産み、

        恨みから生まれた怒りや悲しみは

        新たな狂気を産みかねない。

         

         

        こんな時代だ。

        狂気に対する備えは必要だ。

        狂気を許さぬ構えも必要だ。

        その一方でこんな時代だからこそ、

        自他の怒りや恨みの感情に負けない

        深く強い赦しの心も持っていたい。

         

        その怒りや悲しみが決して癒えないとしても。

         

         

         

        『彼、われをののしり 彼、われをうちたり

         彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり

         かくのごとく こころ 執する人々に

         うらみはついに 熄 ( ) むことなし

         

         彼、われをののしり 彼、われをうちたり

         彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり

         かくのごとく こころ 執せざる人々にこそ

         ついにうらみの止息(やすらい)を見ん

         

         まこと、怨みごころは いかなるすべをもつとも

         怨みを(いだ)くその日まで ひとの世にはやみがたし

         うらみなさによりてのみ うらみはついに消ゆるべし

         こは(かわ)らざる真理(まこと)なり 』

                    発句経(友松圓諦訳)

         

         

         

        | 想い | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
        攻めなさい
        0
          京都武徳殿は日本武道の聖地として名高い。
          戦前には武道専門学校という武道家養成学校の道場でもあった。

          当時この学校に在籍した東北出身の剣道科のある学生のお話。
          彼は小柄ながら地元ではそれなりの戦績を残した才ある剣士だった。
          けれど全国から集まった猛者たちの前には為す術なく、
          自身を失い、ついには退学を決意する。

          逃げるように学校を去ろうとするところを仲間に見つかって
          理由を問いただされた彼は答えた。

          「どうしても小手を打たれる。
          傷だらけになるがそれはみんな同じだから我慢できる。
          けれど小手を打たれまいと考えても工夫しても
          バカスカ小手を打たれてしまう。
          それが情けない。
          ほとほと自分の才能の無さに絶望した。
          おれにはお前たちと一緒にやっていく資格はない」

          そばで聞いていた剣聖と謳われた師 内藤高治師範が言う。
          「才能とは何の関係もありません。
           小手を打たれるならば打たれないようにすれば良いのです。」

          「先生教えて下さい!
           私には分かりません!
           どうしたら打たれないのですか?」

          「・・・攻めなさい」


          打たれまいとするから打たれる。
          自分の弱さと向き合うことと弱さに縛られることとは違うのだ。
          まして「だから自分はダメだ」などと思いつめる必要もない。


          「私には無理」
          「どうせ私は・・・だから」

          自分を卑下して貶めてはいないか。
          出来ない言い訳を掻き集めては
          挑まぬ自分を慰めてはいないか。
          心の底に滾る何かから目を逸らすように。



          春爛漫。
          桜は歌い、空は実に青く清々しい。
          何かを始めたくなるよな、
          そんなぞよめきを感じる方も少なくはなかろう。
          余計なことは考えず、
          溢れくる衝動に身をまかせてみるのも良い。




          『まことのことばはうしなはれ
           雲はちぎれてそらをとぶ
           ああかがやきの四月の底を
           はぎしり燃えてゆききする
           おれはひとりの修羅なのだ』
              宮沢賢治「春と修羅」より

          漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ  http://sinq-kisaragi.net/


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          | 想い | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
          あなたのような人がいるから
          0
            桂米朝師匠が亡くなった。

            高座に上がられなくなって久しく、度々の入院記事、
            時々のニュースを見つつ、その日が遠くないことは
            薄々気づいてはいたけれど。
            何だろう、この無力感は。


            意外と小柄な人だった。
            それが舞台では大きく映えて見えた。

            晩年の高座では言葉が詰まる、
            出ないという瞬間が多くなっていた。
            けれど観客はただジッと待っていた。
            何度も聞いたネタ、次の展開も言葉もサゲも知っている。
            次の一語をただジッと待っている。
            そして間はいつもとはとうに遅れながら
            ようやっと出てきたその「一語」に
            会場は爆笑の渦に揺れた。


            「舌耕」という言葉がある。
            舌で人の心を耕すという意味だ。
            笑わされ、胸打たれ、時に涙する。
            師匠には何度耕して頂いたか知れない。


            子どもの頃から落語が好きだった。
            学生の頃は、独演会、一門会、勉強会、枝雀師匠との親子会など
            通える限り師匠の落語会に足を運んだものだ。

            同じ話なのに何度聞いても笑ってしまう。
            落語の楽しさ、面白さ、奥深さ、
            芸というものの力を教えて頂いたのは間違いなく米朝師匠だった。
            日本人の心の機微、文化、人との距離の測り方、
            言葉、息と間、寛容さなどなど数えきれないほど沢山のことを
            師匠の落語やお話、著作から教わり、学ばせて頂いた。
            どこが、どこまでとは言えないけれど、
            私の血肉となっている。


            師匠の残して下さった映像や書籍は沢山ある。
            けれどあの空間を共有することは二度と出来ない。
            師匠の噺を多くの人たちと共有しつつ共に構築していくあの空間。
            幸せな時間だった。
            絶頂期から晩年までの短い間だったけれど
            師匠の生きていらっしゃる時代を共有出来たことは
            何事にも代えがたい。

            心から感謝申し上げます。
            ありがとうございました。




            『あなたのような人がいるから
             生まれた場所を愛しく思え
             あなたのような人に逢えると
             生きてることが素晴らしくなる』
                      小椋佳

             
            | 想い | 12:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
            戻ってきた財布
            0
              先日財布を無くした。
              加古川から大阪への電車の中でのことだ。
              どうやら暑くて脱いだ外套の隠し袋から
              いつのまにやら落ちてしまったらしい。

              駅に届を出した後、
              友人達に会って話すと
              自分のことのように心配してくれた。

              私の方は心配と言えば心配だけれど
              無くしたものはどうしようもないし、
              気にしたって何も変わらない、
              出てくるときは出てくるし、
              悪用されたらされた時のことと
              受け止めていた。

              せっかく久しぶりに友人たちに会ったのに
              そんな事にとらわれて楽しめない方がバカバカしいから。

              楽しい時間が終わって帰る段になって
              「帰れる?貸そうか?」なんて気遣いの言葉で
              そういえば財布無くしたんやったと気づいた。
              無垢なお心遣い、嬉しいものですな。
              ありがとうございます。
              「行きしなに帰りの切符は買ってあるから。」


              翌日大阪駅から電話があって財布が届いているとのこと。
              親切な方に拾って頂けて良かった〜。
              どなたかは存じませんが本当にありがとうございました。

              国はどんどん右へ傾いてゆくし、
              新聞やニュースでは毎日のように陰惨な事件が報道され、
              治安も悪くなってきているけれど、
              落とした財布がそのまま帰ってくる国なんてそうそうない。
              有り難い国だ。

              帰ってきた財布ももちろん嬉しいが、
              財布が帰ってくるという事自体が何より嬉しい。
              清廉であることが誇りであり、当たり前である国。
              そういう人たちが沢山暮らしている国であることが
              何とも誇らしい。

              「私」はそんな沢山の目に見えない縁、
              沢山の親切心に包まれ支えられて今、生きているのだ。
              当たり前の親切心は当たり前ではない。
              当たり前の優しさは当たり前ではない。
              生かされて生きている恩を忘れまい。


              今朝、隣家の梅の蕾が白くほころんでいた。
              風は冷たくも清々しい。
              春はもうそこだ。



              『いかにして誠の道にかなひなむ
              千歳のうちにひと日なりとも』
              良寛


              漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ  http://sinq-kisaragi.net/


               
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              | 想い | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
              おひぃさん 
              0

                教師が生徒らに問う。
                「雪が溶けたら何になる?」

                「水!」と多くの子らが答えるなかに、
                ひとりの生徒が「春になる」と答えた。
                教師はその答えを×としたそうな。

                雪国のとある小学校で起こった有名なお話。
                理科の時間のことだから、教師の判断は間違いとは言えない。
                言えないけれど・・・。


                私が小学三年生の頃。
                南中高度について学ぶ授業中、
                「おひさまが・・・・」と発言した女の子がいた。
                いつもガミガミキーキー怒鳴っていた教師が強い口調で叱る。
                「太陽と言いなさい!!」。

                静まり返る教室。一瞬で空気が重く緊張する。
                その教室のその光景とともに
                「おひさまでもえんやんけ。怒鳴る必要ないやろ」という憤りと
                なんとも言えない不快さを感じたことを印象深く記憶している。


                「雪が溶けたら水になる」という正解と同様、
                理科の時間だから、「太陽」という言葉の方が適切なことは分かる。
                科学には客観的態度や批判精神が必要だから、
                「おひさま」という感情の付随した言葉が不適切なことも分かる。
                けれど「太陽と言いなさい!!」と言い放った教師には
                科学的精神が高等で「おひさま」という言葉やそれを使うことが
                さも幼稚なことと認識しているかのような、
                そんな雰囲気があったような気がする。
                当時はもちろんそんな風に分析していたわけではないけれど、
                それが言い知れぬ不快さを感じた原因かも知れない。


                「おひさま」「おひぃさん」「おてんとさま(お天道様)」

                そこには大いなる力に対する畏怖畏敬の念と
                それによって生かされていることへの感謝の念がある。

                現世・来世利益を願うような邪な信仰ではない純粋な信仰心は
                やがて「おてんとさんが観ているから」という
                自律心へと繋がっていく。

                その自律心は罰があたらないようにとか、地獄に落ちないように
                というような損得勘定に基づくものでもない。
                それは大いなる力によって生かして頂きながら、
                己を律しない事への恥ずかしさのような感情に根差しているように思う。

                「日の本の国」でそんな心が廃れていくのはとても寂しい。

                そのような自律心は決して科学的精神と矛盾するものではないだろう。
                研究の真偽は別として、世紀の発見と一瞬持て囃されたかの女史は
                「おひさま」を畏怖し、感謝する心をお持ちだったろうか。



                『仰いで天に愧(は)じず、俯して地に怍(は)じず』
                                 孟子


                加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-kisaragi.net/             

                | 想い | 08:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
                海老
                0
                  こないだ初春を寿いだばかりというのに
                  もう2月も終わろうとしている。
                  時の経つのは早いものだ。

                  と言いつつお節料理の話で恐縮だが
                  お重の中にでんと坐しましますお海老様。
                  「腰が曲がるまで長生きしてほしい」という
                  長寿の願いがかけられているという。

                  これとは別に
                  「年老いて腰を丸めていても
                  いざという時にはシャンと背筋を伸ばし気骨を示せ」
                  との意味もあるらしい。

                  その意気やよし、と言いたいところだが、
                  平生腰を丸めてヨボヨボヨタヨタしていながら
                  いざという時だけシャンと背筋を伸ばし、
                  気骨を示せる人がどれだけいるものか、
                  少々疑問である。

                  ご老体の域におられる人様の在り様を眺むれば、
                  齢60も過ぎれば、歳と見た目は比例しない。
                  歳相応の方が意外と少ないように思えるのだ。

                  その歳に思えないほど若々しく矍鑠としてお元気であるか、
                  萎むか膨らむかして歳より老け込んで見えるか、
                  総じてこの2極に分かれるようだ。
                  毎日を大切に今日という日を謳歌していらっしゃるか
                  それとも「昨日の続き」で暮らしてらっしゃるか
                  の違いかも知れない。


                  さて、昨夜は元気なじいさん4人組を見た。

                  2時間ぶっ通しで腰をくねらせながら舞台を駆け回り
                  跳ね回り、力強く歌いあげる70歳のじいさん。
                  2時間ぶっ通しで渋いギターサウンドをかき鳴らし、
                  時にしゃがれた声で弾き語る69歳のじいさん。
                  2時間ぶっ通しで腰を振りながら、時に咥え煙草で
                  粋なギターを奏でる66歳のじいさん。
                  そして2時間ぶっ通しで、確かなリズムを刻み、
                  力強くドラムをたたき続ける72歳のじいさん。
                  平均年齢69歳。
                  4人合わせて276歳(足してどうする)。

                  とても普段お利口に健康に気を遣っているような
                  面々ではないが、皆痩身でありつつ筋骨逞しく、
                  実に生き生きとしているのである。
                  とにかくかっこいいのだ。


                  麻薬の過去もある彼ら。
                  決して諸手をあげて賛同するものではないが、
                  音楽を通して生きることを楽しんでいる彼らの姿、
                  溢れる活力が多くの人を魅了しつづけている。

                  いざという時だけなどとケチなことを言わず、
                  平生からかくありたいものだ。
                  気骨や気概のある人ならば、日常において
                  そういうものは我知らず表ににじみ出ているものだろう。
                  血糖値や血圧がどうの服用する薬の数がどうのと
                  不健康自慢をしては互いを慰めあう。
                  そんな風には努々なるまい。


                  ライブの最後は彼らの代表曲。
                  『no satisfaction(満足できない)!』と叫ぶ彼らに
                  大満足の夜だった。



                  『賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる』
                                     論語 里仁第四の十七

                  漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-kisaragi.net/

                   
                  | 想い | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  そやかて
                  0
                    もうすぐソチオリンピック。
                    明後日2月6日には開会式前に予選が始まる種目もある。

                    日頃はスポーツ観戦は特にしないし、
                    サッカーにも野球にもまるで興味がない。

                    しかし、世界陸上、世界水泳、
                    そしてオリンピックはテレビに噛り付きになってしまう。

                    一人暮らしを始めた大学生の頃あったバルセロナオリンピック以来、
                    その約2週間はいつも現地時間で生活することになる。
                    そやかて、スポーツ見るなら断然生。
                    結果の分かっとる録画映像見たってオモロナイ、アジケナイ、もん。

                    お蔭でいつも寝不足になりそうなものだが、
                    そこはそれ、いつでも寝られる得意技。
                    細切れ時間に眠れるのでまったく問題ない。
                    神経質でなくて良かった良かった。

                    とにかくその日の為に鍛錬に鍛錬を重ねたトップ選手たちのその技を、
                    その躍動を、その情熱を観られるこの機会は実に楽しみなのだ。


                    『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』
                               宮本武蔵「五輪書」より


                    漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-kisaragi.net/
                    | 想い | 19:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    デクノボウ
                    0

                      『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言うて、
                      好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。
                      ねうちは世間がきめてくれる。
                      ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない。

                      また、芸人になった以上、末期哀れは覚悟の前やで』    
                                                          桂米朝
                      「落語と私」より


                      上方落語の人間国宝、桂米朝さんが
                      入門時に師匠の桂米團治さんから受け取った言葉だ。

                      厳しくもなんと清々しい心構えだろう。

                      米一粒、釘一本も作らない非生産的な仕事を生業に生きているのは
                      何も芸人に限らない。
                      現代においてはむしろそのような職種の方が
                      かえって多いのかも知れない。

                      その中でこれだけの心構えで仕事に臨んでいる人は一体どれだけいるだろうか。

                      末期哀れは覚悟の前。覚悟の上ではなく、覚悟の前なのだ。
                      それは覚悟する云々以前の当たり前の認識なのだ。


                      芸人。非生産的な仕事。
                      それは本質的にはなければないで構わない、いなくても誰も困らないということだ。
                      けれども練り上げられた芸に救われることがある。希望を与えられることがある。
                      涙が溢れることがある。立ち上がる勇気を引き出してくれることがある。
                      いなくても誰も困らない筈の職種でありながら、
                      あなたでなければ、あなたがいるからと思わせてくれる芸がある。
                      あなたにいて欲しいと思わせる芸人がいる。


                      医術も同じ。米一粒、釘一本も作らず、他人の病で飯を喰う非生産的な仕事だ。
                      なければないで構わない。むしろ本質的には必要とされない方が良い仕事だ。
                      けれども研ぎ澄まされた医術によって希望が生まれることがある。
                      暗い気持ちが晴れることがある。 前を向いて歩きだす力が沸き立つことがある。
                      ささくれ頑なな心が穏やかに開き出すことがある。
                      いなくても誰も困らない筈の職種でありながら、
                      あなたでなければ、あなたがいるからと思わせてくれる医術がある。
                      あなたにいて欲しいと思わせてくれる治療家がいる。


                      願わくば、一人でも多くの患者さんにとってそんな存在でありたいと思う。
                      ただ一生懸命に医術を磨くほかに術はない。



                      今日、平成24年10月7日、鍼灸治療院きさらぎはお陰様で開院5周年を迎えた。
                      難病・奇病に症状はあるのに医師に「異常なし」と見放された人、
                      病院・整骨院巡りの末に当院に辿り着いた人。
                      開院間もない治療院に何故?と感じるほど、

                      難しい病症を抱えた人達が次々と当院の門を叩いてくれた。
                      お蔭で随分と鍛えられたものだ。
                      様々な出会い、人に恵まれ、思えばあっという間の5年だった。


                      さて、今後も当院の基本理念は変わらない。
                      耳つぼダイエットも美容鍼灸も無資格マッサージも行わない。
                      病や疾患を通して真剣に自己と向き合う患者さんの良き伴走者として
                      能く練り、研ぎ澄ませた精緻繊細な治療技術を愚直に誠実に提供するだけだ。


                      思えば医の理想は医術の要らない、誰もが健康な世の中。
                      誰もが自分の在り方に責任と静かな覚悟を持ち、
                      且つ互いを察し労わり合える世界。


                      人様に医術で喜んで貰いたい、そんな存在になりたいだなんて
                      治療家の驕りであり甘えそのもの。
                      ですよね?賢治先生。



                      『ミンナニデクノボートヨバレ
                      ホメラレモセズ
                      クニモサレズ
                      サウイフモノニ
                      ワタシハナリタイ』  

                      宮沢賢治「雨ニモマケズ」より



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                      | 想い | 17:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
                      ダンゴムシ
                      0
                         先日ホタルを見た。
                        所は有馬。鍼灸の研究会で毎夏一泊研修で訪れている。
                        ここ数年は雨のため見られなかったが、今年は幸い好天に恵まれ
                        見ることが出来た。

                        サラサラと清らに流れる小川の畔、鬱蒼と繁る叢の上、
                        数え切れないホタル達が、音もなく、一定の拍子で瞬きながら、
                        こちらと思えばまたあちら、あちらと思えばまたこちら、
                        フワフワフワと揺らめくように、
                        夜のキャンバスに浮かんでは消える光の絵を延々と舞描いている。

                        露天風呂へとほっそり伸びる川辺の石の小道の端の、
                        赤錆びた鉄の手すりに身を委ねつつ、
                        夢と現の端境のごと彼岸の舞に見とれていると、
                        時の経つのも忘れてしまう。


                        『恋に恋して鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす』(詠み人知らず)
                        粋な都々逸を思い出す。
                        ほんの数日の命の輝き。


                        もうじき梅雨が開ける。
                        梅雨が開ければ今度は一斉にセミ達が歌い出す。
                        ホタルのように身を焦がしはしないけれど、
                        たった7日の生命を身を振るわせて懸命に謳いあげる。


                        『明日ありと思ふこころの徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』(親鸞)

                        自分は一体、彼らほど直向きに毎日を生きていると言えるだろうか。


                        ここで一句。

                        『鳴きもせず 焦がれもせずにダンゴムシ』


                        ダンゴムシさん、ごめんなさい。



                        漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-ksaragi.net/

                         
                        | 想い | 12:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
                        崖っぷちのふたり
                        0

                          先月、ふと思い立って久しぶりに高御位山に登ってきた。

                          子供の頃、父と犬と一緒に何度となく登った山だ。

                          今回は鹿島神社裏の登り口から。

                           

                          播磨アルプスとも呼ばれる稜線を持つ高御座山系。

                          最高峰の高御座でも標高304メートルの低山だが、

                          高い木々の育たない岩山は起伏に富んで、

                          少し登っただけで素晴らしい眺望が開けるいつ来ても楽しい山だ。

                           


                          百間岩を登りながら、馬の背と呼ばれる勾配一帯を見下ろせば、
                          黒黒と煤けた木々が立ち並び、一昨年の山火事の痕が生々しい。

                          しかし、10年ほど前、同じく山火事があったという
                          桶補山への分岐点となる
                          鷹ノ巣山頂上辺りまでいくと、
                          煤け焦げた木々の根本からチラホラと新芽が角ぐんでいた。
                          谷間を見下ろせば、背の低い草木も繁りはじめている。

                           

                          再生する自然の逞しさ。

                          記憶の中にある、岩山をやさしく覆う緑が復活するのも
                          さのみ遠くはないだろう。

                           

                           

                          鹿島神社裏から百間岩、鷹ノ巣山を通って高御座。

                          運動不足がたたって、ところどころ息は切れたけれど

                          1時間ちょいで頂上へつけば、広がるは見渡す限りの絶景。

                          淡路島や家島諸島もくっきりと見える。

                           

                           

                          『すご〜い!』

                          岩山はさぞ大変だったろうに絶景にはしゃいで歓声を上げる6,7歳くらいの子供たち。

                          『崖っぷちのふたり〜』

                          切り立った岩場に立って楽しげに記念撮影する家族連れの夫婦。

                           

                          みんなここでは上機嫌。

                          ああ、清々するな〜。

                           


                          絶え間なく吹く風に、そよぐ木々の葉音、

                          ホーホケキョ・ケキョケキョ・キュキュキュ・・・。

                          ホンワリとした鴬の声。

                          ピーヨロー、ピーヨローと輪を描いて飛ぶ幾羽もの鳶。

                          心地よくて岩場にゴロンと横になる。

                          ボーっと無思考に遊んでいるうちについウトウト。

                          ふと気づけば四半時ほど寝ていたようだ。


                          日々の仕事や暮らしの中では、

                          多くの人が往々にして考えなくてもよいことを考え、
                          あれこれと自分勝手にストレスをかき集めては
                          気にしなくてもよいことを気にし、
                          傷つかなくてもよいことに傷つき、とらわれ、イラツキ、落ち込み、
                          自縄自縛の縄をせっせと綯っているものだ。
                          とりわけ臨床で患者さん達と接していると、
                          そう感じることが少なくない。

                          けれど、日常から離れたこんな開放的な場に佇んでいると、
                          生来呑気でストレスに疎いと思っていた自分も、何のことはない、
                          その例に漏れないことを否が応にも知らされる。
                          たまには街を離れて自然の只中へ身を置くのも良いものだ。


                          昨日のことはどうにもならない。
                          明日のことなど誰にも分からない。
                          今日の日はいつでも崖っぷち。

                          『崖っぷちのふたり〜』
                          そんな風に崖っぷちを笑って楽しめるくらいが丁度良い。



                          漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ  http://sinq-kisaragi.net/

                           

                          | 想い | 17:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
                          春とウグイス
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                            元来、真目な方ではない。
                            日記など書いたこともないし、書こうと思ったことすらない。
                            ましてや衆人の目に触れ得るブログなどとてもとても・・・。
                            質ではないのだ。

                            それがここに何故始めるのかと言っても、
                            さしたる理由があるわけでもなく、
                            これまた質だからという他ない。
                            要は気まぐれなのだ。
                            或いは春の陽気に当てられたか。


                            思えば今年の春の訪れは遅かった。
                            まるで言葉を覚えたてのみどり児のような覚束ないサエズリで、
                            実家の裏庭に例年やってきては春を伝えてくれるウグイスも今年は
                            ついに来なかったし、引きずるような冬の寒気に梅も桜も縮こまって、
                            その蕾は随分硬かった。
                            『春は名のみの〜』の唄の文句を幾度思い起こしたことか。

                            代わりに春を伝えてくれたのは、逆子、ギックリ腰、めまいに花粉症。
                            治療院に来院される患者さん達だ。
                            これらの疾患は毎年この季節に増えるので、
                            つい『春だなぁ』と感じてしまう。
                            当院の患者さんは女性が多いから、ウグイス嬢とでも呼ぼうか。


                            冬の身体から春の身体へ。季節の変わり目に体調を崩す方は多いが、
                            生理的に陽気の発散が盛んになる春先は、特にその傾向が強い。
                            精神的にも不安定になりやすい。

                            しかし、それは歪みを抱えている身体が、
                            そうやってその異常を正そうとしてくれていたり、
                            休養を促してくれていたり、そして同時に
                            『このままではダメだよ』と警告してくれているのだ。
                            実に身体とは不思議であり、また有り難いものではないか。

                            一病息災。
                            症状という身体からの声に耳を傾けてみれば、
                            それはきっと今日という日の味わいを確かに変えてくれるきっかけになる。
                            きっかけにするかどうか、それはまあ、ご本人の選択なのだけれど。


                            まこと日に新たに
                            日々に新たに
                            また日に新たならむ(大学)


                            今年もはや5月。日中はというと春爛漫のポカポカ陽気。
                            新緑の精気を含んで頬を撫でる風が心地よい。
                            陽気に誘われてどこぞへ出かけようか。
                            それともブログでも始めるか。

                            そんなこんなで始まるブログ。
                            願わくば楽しみに待ち望む方のなからんことを。
                            なんせ春の陽気に誘われて、
                            否、春の妖気に当てられて気まぐれに始めるのだから。


                            漢方鍼灸専門 鍼灸治療院きさらぎ  http://sinq-kisaragi.net/
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