「こんなにも奥深く
手強く 美しく
楽しい世界があったのか!」
小学校から高校まで剣道に励んでいた私は
スポーツ剣道に疑問を持ち、
古流の剣術を学びたいと道場を探していた。
平成5年。
漸く見つけたこの方しかいないと感じた先生に
震えるような気持で手紙を認め、
頂いたご返信にてお誘いしていただいた
貴道場の第一回講習会に参加させていただき、
その場で入門させていただいた。
爾来、武術修業は私のライフワークである。
本道場ではそれぞれ流派の違う
剣術(太刀・十手・小太刀・薙刀など使用する武器は数種類あり)
柔術
居合術
棒術
などを同じ一つの理論で学んでゆく。
型稽古を中心に心身を練ってゆくのであるが
型は段階ごとに体系化されている。
段階ごとに体系化されている、ということは
型はあくまで稽古体系であり、
実戦のひな型などではなく、
先達が言葉には表せないものを理論として学べるように
残して下さった文化的遺産なのである。
型がいくつあっても動作の手順を覚えて
ただ繰り返しているだけでは
それは単なる踊りであって
動きの質的転換は起こらない。
何年修行しても意味がない。
型は理論なのだと認識し型に取り組んでみると
型の要求通りには動けないことを突き付けられる。
型を通して先師先達が伝えようとされた次元の動きなど
到底再現できない。
こうしてはダメ、こうなってはダメという
いくつもの条件の中でいざ動こうとすれば
思い通りには動かない自分の身体がそこにあるだけだ。
言葉では否定を通してしか伝えられないものがある。
般若心経のように。
素振りと居合以外は基本的に二人一組で型は行うのであるが、
相手がいてくれるお陰でより如実に
自分の動きの鈍さ・硬さ・重さ・歪みなどを明確に知ることができる。
毎度毎度ダメ出しを受けているようなものだ。
しかし、それが良い。
元より習ってすぐ出来るようなものなど求めてはいないのだから。
剣道では「打って反省 打たれて感謝」という言葉があるが
型稽古はそんな稽古を延々と続けてゆくことができる。
学ぶことそのものが楽しい。
そんなことを教えてくれたのも武術である。
入門から30年以上経って、
一本目の型すら型の要求通りには動けない。
できるようになった、と言えるものなど何もない。
実際には30年前の動きとは質的に変わってきているのだろうが
自分が成長すればするほどより深い部分、
高い次元で課題が見えてきて、
それまでの気づき・理解など低い次元のものなのだと
再認識されるばかり。
汲めども尽きぬ奥深さがそこにある。
型の理論を日常の動きにまで体現された先生の所作は
そのいずまい、たたずまい、その一挙手一投足が美しく、
且つどこにも隙がない。
その美しい立ち姿は正しい稽古の積み重ねの先には
自分もいつかそうなれるかもしれないという希望そのものである。
それはとてつもなく遠い遠い道ではあるが。
そんな尊いものを学び続けてゆけるのである。
武術は身体でする学問なのだ。
こんな楽しい世界があるだろうか。
一昨年前の5月、春の合宿において
居合のある型を稽古していた時
「形になってきたな」とおっしゃっていただいた。
別の居合の型では私のお尻に触れ、動きを検証され
「その方向だね」と。
次の日も同じ型で「その方向だね」と。
褒められたわけではない。
先生もそんなおつもりはなかっただろう。
ただ稽古の方向性として間違っていないと
認めて頂いたのだと理解している。
飛び上がるほど嬉しかった。
「ダメな稽古はダメなまま
下手な稽古は上手につながる
下手な稽古をしなさい」
少なくともダメな稽古にはなっていないよと
言っていただけたのだから。
武術で学んだことはそのまま臨床にもつながっている。
人の動きの歪みを読み、身体の歪みを読み、
エネルギーの歪みを読んでいく感覚は
患者の身体を読むこと、反応・変化を捉えてゆくことに
つながっている。
触診において触れた部分から身体の内部や
触れていない部分の状態を感じ取っていく感覚。
打った鍼の鍼先を通して、
身体全体がどう変化してゆくか感じ取ってゆく感覚。
自分の位置取りや姿勢、あるいは触診の圧の加減などが
患者にどんな影響を与えているかを捉える感覚。
皮膚表面よりも深部にある異常、
そこに鍼先、またはその影響を届けるべき
芥子粒ほどの異常を捉える感覚。
そこに向けて刺す毛髪ほど細く、柔らかにしなる鍼の
鍼先にむけてまっすぐにエネルギーを伝える繊細な身体操作。
武術を通して学び、磨いてきたことは
仕事である鍼灸治療にも確実に深く影響を与えている。
師匠には感謝しても仕切れない。
令和6年3月3日。
その大恩ある師匠が逝去された。
一昨年前の5月、合宿後、
ご自宅へ帰られて間もなく脳梗塞で御倒れになった。
コロナ禍のこと、ご家族でさえ面会謝絶を余儀なくされ、
本来ならなるべく早く始めるべきリハビリも
始まったのは半年も過ぎてからとのことだった。
肺炎を何度も繰り返しながらご闘病されていたが、
終に帰らぬ人となった。
稽古や礼節には厳しくも
普段はお酒と手塚治虫と映画と落語を愛する
お茶目な方だった。
畏れ多くもずっとそばにいたい、と
感じさせてくださる方だった。
いつまでもおそばで学び続けたかった。
大好きでした。
73歳。
あまりにも早い。
悲しい。寂しい。悔しい。
どこにもぶつけられないもどかしい怒り。
これまで教えていただいた数えきれなほどの宝と
もう二度と見られない脳裏に焼き付いた
先生の美しい姿を胸に
これからも精進して参ります。
若先生の下で修業を重ね、
精一杯若先生を支え盛り立てて参ります。
30有余年、本当に本当に有難うございました。
心より感謝申し上げます。
吉良 淳